賢いことは良いことか?「アルジャーノンに花束を」のあらすじ・感想
今回読んだのはダニエル・キイスさんの「アルジャーノンに花束を」。
感動しました。
読み終わったあとも心に染みてくるような名作感動ストーリーです。
あらすじ
数人の科学者、心理学者たちは障害者の脳の一部を手術して頭をよくできるのではないかと仮説する。
ネズミのアルジャーノンで実験したところ、著しい知能の向上がみられた(迷路の脱出がうまくなるなど)。
しかしアルジャーノンの成長には大きな欠陥があった・・・。
ここで登場するのが知的障害を持ったチャーリイ。チャーリイはIQ70という低い知能を持ちながらも「かしこくなりたい」と渇望していた。
学者たちは初めて人間の脳で実験を結構することを決める。手術により彼はどんどん頭が良くなってゆくが・・・。
チャーリイはアルジャーノンと同じ道をたどってしまうのか・・・!?
○感動したい人
○脳科学、心理学に興味のある人
○道徳・倫理を築きたい人
○障害者の生活・人生に興味のある人
にオススメ!・・・と言おうと思いましたが!!
はっきり言って誰でも読む価値ある本!
感想
チャーリイの日記(経過報告)という形で本は最初から最後まで書かれていたので、知能の微妙な変化が文で読み取れて非常に面白い!英語と日本語で読むのでは全く別物になってるのだろうから、いつか原作の英語でも読んでみたいなと思いました。
知能が上がっていく場面では、今まで見えていなかった「世の中の汚いところ」が見えてきて、それはそれでつらかったかもしれない。
でも個人的に知能が下がっていくラストのほうが読んでいて悲しかった・・・。チャーリイは賢くなったあともまだ「賢くなりたい」と向上心を持っていました。しかしその願望はかなわず、少しずつ、少しずつ、知能は下がっていくのです。
そしてそれに気が付いていないチャーリイを見るとなんとも言えない悔しさともどかしさがあった・・・。
終盤でチャーリイが向かいの女性の着替えをのぞいた。おそらく、子供のころのように好奇心にあふれた顔を窓に押しつけながら。チャーリイは「なぜあのひとはシャッターをとじてしまったのだろう?」と疑問に思う。なぜだか私はここで号泣した。
一番なりたくなかった屈辱的な姿だろう。でもチャーリイには疑問だらけで分からない。
「アルジャーノンに花束を」は悲しいだけの本じゃない。
ハッキリした答えがでなくとも、考えさせられることがたくさん詰まった本だ。
どっちが本当のチャーリイなのか?
人間はこんなにも知的障害者を「人間」として扱ってないのか?
手術をして初めて友人に馬鹿にされてたこと、母親に捨てられたこと、科学者に人間扱いされてなかったことに気づいたのなら、手術してない人々に優しくする意味はあるのか?
そもそも学者たちはチャーリイに手術をするべきだったのか?
能をいじってまで、賢くなることは良いことなのか・・・?
ぐるぐるぐるぐると考える。難しい・・・。
ひとつだけ伝わったことといえば、
どっちのチャーリイも「人間」である。
チャーリイは「前の僕も人間だったのに!」と心の中で怒り叫んだように、
「賢い=人間」ではないということ。
作者の冒頭メッセージ、「愛と引き換えに知能を手に入れたところで、なんの意味があるだろう?」が心に染みます。
翻訳者のあとがきでは、20代に読んだときは感動し、40代では同情、80代では納得したと書いてあった。
私がもってる感情に一番近いのは感動かな?答えがハッキリ分からないなかでも心に響くものがあったから。納得にはまだまだ遠いかもしれません・・・。
私も年を越えて何回も読みたいと思いました。
以上!
だーっと思うことを書きました!
まとまりのない感想でごめんなさい( ;∀;)